猛暑の夏、渇水で回っていない水車のような万屋です。
映画「あゝ野麦峠」で一躍有名になった野麦峠と糸引き女工の哀話、
飛騨への帰路の途中に峠で亡くなった政井みねは吉城郡河合村角川(現飛騨市河合町角川)の出身でした。
今では生家は残っていませんが、跡地やお墓があり、今回初めて現地を訪れてみました。
と、その前に飛騨市河合の振興事務所に映画作成の時の写真や、当時の女工の様子、
またみね本人が写ったものと兄、辰二郎の写真も展示してあるのでそれを見せて頂きました。
振興事務所の職員の方有難うございました。
↑ 飛騨市河合振興事務所
↑ 3階にある「あゝ野麦峠」関係資料の展示室
↑ 映画のポスター
↑ 飛騨から岡谷までの道のり
↑ 製糸工場の仕事内容などの資料
↑ 製糸工場(林組)で働いていた女工たちの集合写真
↑ 政井みねが写った唯一の写真
↑ みねを岡谷へ迎えに行った兄、辰二郎(右)の写真
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