2024年9月29日日曜日

2024年 飛騨のきのこ ⑤ サクラシメジ・他

 今年はドングリが豊作だとか・・・ならば熊には里へ来て欲しくない万屋です。



今秋は昨日までに7回きのこ狩りに行きましたが、ブログアップが間に合わずまだ5回目の報告です。


この日は珍しく雨の翌日だったせいか、今年初めて見るきのこもありました。

特にサクラシメジは良い状態の物が採れたので早速漬物用に塩漬けしました。

これで今年の赤かぶのしな漬けも楽しみです。


その他のきのこも毒きのこを含めて少し顔を覗かせていましたが、

このまま順調に出てくれると良いのですが・・・



↑ サクラシメジ


↑ ハイカグラテングタケ


↑ マスタケ


↑ キホウキタケ(毒)


↑ タマゴタケ


↑ オオムラサキアンズタケ


↑ ベニイグチ(食毒不明)


↑ アカヤマドリ






2024年9月27日金曜日

赤沢自然休養林 森林鉄道 (乗車編)

 ガッタンゴーに一度乗ってみたい万屋です。



昨年訪れた寝覚ノ床で清掃されている方から勧められた木曽の赤沢自然保養林へ行って来ました。

木曽はヒノキを初めネズコやコウヤマキ、サワラなど「木曽の五木」と呼ばれる材木を産出する所で有名ですね。

国有林から運び出す手段として昔、森林鉄道が使われていて、

今でも健在なトロッコ状の鉄道で終点まで往復出来ます。


森の中を走る森林鉄道に乗って浴びるマイナスイオンでリフレッシュ出来ました。


今回は森林鉄道乗車編、次回は散策編として載せて置きたいと思います。
















2024年9月25日水曜日

あゝ野麦峠 ~政井みね生誕の地を訪ねて~

 夢の中では自由に空を飛べる万屋です。



さて、前々回の続きですが、振興事務所の後、政井みねの生家跡とお墓のある専勝寺など周ってみました。

生家跡は振興事務所から数百メートルと近い場所にあり、お寺はその直ぐ上方にあります。

本堂裏の墓所には兄の辰二郎がみねの供養にと奉建した親鸞聖人の像もあり、

兄が眠る政井家の墓の隣にみねの墓もあります。

訪れたこの日はお盆をとうに過ぎていましたが、

新しい花が供えられており、今尚、みねが愛される存在だったことが窺い知れました。


またそれより奥の楢峠入り口には同じく辰二郎奉健の弘法大師像が安置されています。



↑ 政井みね生誕の地




↑ お墓のある専勝寺



↑ 政井家の墓所


↑ 政井家のお墓


↑ 政井みねのお墓


↑ 兄の辰二郎が奉建した親鸞聖人像


↑ 政井みねの銅像


↑ 参拝者用の雑記帳



↑ 兄辰二郎が奉建した弘法大師像








2024年9月23日月曜日

バショウカジキ

 魚好きで来世は魚確定の万屋です。



またまたスーパーで良い魚を見付けて買って来ました。

夏から秋に掛けて日本海側で良く獲れるバショウカジキ、

長さ120㎝ほどの幼魚なのでそんなに脂は乗っていませんが、

その分サッパリとして美味しいです。

しかも1500円とお買い得でした。

限定2匹だけの販売でしたが、一番乗りしたお陰で大きな方を・・・


長過ぎてクーラーボックスに入らないので大きな段ボールに氷と一緒に入れて急遽家に帰りました。

尻尾近い部分に一か所、押した跡がありましたが、

身は傷んでいなくて鮮度も良く鰓は真っ赤でした。


柵取りしたら長さ30㎝ほどの柵が6本取れたので単純計算で1本が250円です。

久しぶりの良い買い物でした。











2024年9月20日金曜日

あゝ野麦峠 ~河合振興事務所展示室を訪ねて~

 猛暑の夏、渇水で回っていない水車のような万屋です。



映画「あゝ野麦峠」で一躍有名になった野麦峠と糸引き女工の哀話、

飛騨への帰路の途中に峠で亡くなった政井みねは吉城郡河合村角川(現飛騨市河合町角川)の出身でした。

今では生家は残っていませんが、跡地やお墓があり、今回初めて現地を訪れてみました。


と、その前に飛騨市河合の振興事務所に映画作成の時の写真や、当時の女工の様子、

またみね本人が写ったものと兄、辰二郎の写真も展示してあるのでそれを見せて頂きました。

振興事務所の職員の方有難うございました。



↑ 飛騨市河合振興事務所


↑ 3階にある「あゝ野麦峠」関係資料の展示室



↑ 映画のポスター


↑ 飛騨から岡谷までの道のり



↑ 製糸工場の仕事内容などの資料


↑ 製糸工場(林組)で働いていた女工たちの集合写真


↑ 政井みねが写った唯一の写真


↑ みねを岡谷へ迎えに行った兄、辰二郎(右)の写真









2024年9月18日水曜日

ハイカグラテングタケの油炒め

 美味しいものは最後に取っておきたい万屋です。



10年ほど前までは食べられるきのことしての認識が無く、

どの図鑑でも食毒不明菌の扱いをされていたハイカグラテングタケ、

ここ数年でその美味しさから人気が出て来ました。

と言うのもこのきのこが属するテングタケ科のきのこは良質なアミノ酸が含まれ、

とても美味しいとされています。

特にタマゴタケなんかは古くから安心で美味しいきのことして良く知られていますね。

一方で猛毒のきのこも含まれており、中毒も時には死に至ることもあるため取り扱いは要注意の仲間です。


ハイカグラテングタケが注目に値しなかったのはおそらくその容姿で、

見た目には学校の廊下を拭いて周った汚れ雑巾(例えが悪いですが)のようであり、

イメージからして美味さは感じられないからでしょう。


しかし一旦、流水で洗えばこの汚い粉状のものもきれいになります。

後は普通のきのこと同じように調理するだけですが、

ホヤやナマコ同様に最初に食べた人は偉いですね。


今回はナスと合わせて油炒めで食べましたが、

ごま油の香りとコクのある旨味でとても美味しく頂くことが出来ました。

私個人の意見を言えばマツタケより味、食感とも上級のきのこと思います。











2024年9月16日月曜日

2024年 飛騨のきのこ ③ オオムラサキアンズタケ・他

 カメラが先回りしていることが解っていても新鮮な気持ちで川口浩隊長の洞窟探検を観ていた万屋です。



日本人のルーツは農耕民族だったり狩猟民族だったりと言われていますが、

特に縄文時代では狩猟を主に生活をしていたことが遺跡などから読み取れます。

そんな民族の血を引くからでしょうか、

私は魚釣りやきのこ、山菜採りなどが好きで飛騨の山はその舞台となってくれています。


収獲はその時の神様のご機嫌次第ですが、取れても獲れなくても山は気持ちが良いものです。

それでも長年の感が役に立つ時もありますが、偶々運良く望外の成果に恵まれることも・・・

ただ今年は夏が熱く雨が少ないのできのこは苦戦しています。

単に遅れているだけであれば良いのですが、

発生せずこのまま終わるパターンもあるので先行きが心配でもあります。


それでもこの日も見合った分だけのお土産を頂いて帰りました。



↑ オムラサキアンズタケ


↑ ハイカグラテングタケ


↑ ミキイロウスタケ


↑ ベニナギナタダケ


↑ テングタケ(毒)


↑ ホウキタケ


↑ トキイロラッパタケ